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ヨコスカフレンドシップデー2015 <Part3>

基地のゲートを入ると、基地内のガイドマップが配られていました。海岸沿いにず~っと歩いて行くと、右手にマクドナルド、左手には屋外飲食広場(?)のT字路。(ここはもうアメリカって感じでした。)さて、どちらに行こうかと迷ったけれど、左側へ…。軍艦を見学できると分かったので、テクテクテクテク。(前日に「軍港めぐり(長浦港)」をしたので、イージス艦にガゼン興味が湧いていました。)

誰かが、気温が35度!と言っているのが聞こえたけれど、体感気温は40度を軽く超えているような気がしました。歩道には日陰なし。いやぁ~、参りました。が、歩き続けなければ何処へも辿りつけないのでした。ヨコスカ根性ものがたり。

道路には立派なバス停がいくつもあって、時刻表を見たら物凄い本数。でも、この日はバスを見かけることはありませんでした。バスが走る…って、基地は街(市?)一つ分でした。広大な敷地! (バスではなくて、熱中症対応に追われる救急車が何度も行き交っていました。)

この日悟ったこと―「炎天下では、帽子は光を通さない黒色がよい(ただし外側は熱を吸収しない色と素材)、靴は黒色は地獄である(密閉中の靴中の温度は熱を吸収して恐らく50度以上、痛みを感じる程)」でした。
トップスはユニクロのUVカット長袖ジャケットを着ていたので、まぁまぁセーフでした。顔は、もう汗でメイクも日焼け止めも流れ落ち、人間とはあれほど顔から汗が流れるものなのか?!とオドロキモモノキサンショノキ!

目的地までの距離を全く想像していなかったのが良かったかもしれません。知っていたら行っていなかったかも…。気分的には30分以上炎天下を歩き、30分以上長蛇の列に並び、やっと見学のために乗り込めたのが、ミサイル駆逐艦「USS MUSTIN」。艦内は映画とかでしか観たことのない世界でした。(金属製の梯子を上らないといけない順路になっていて、私のポンコツ脚にとっては命懸け。顔が見えなかったけれど、兵隊さんが手を取って助けてくれました。)外でも中でも海軍兵―恐らく広報担当者?たちがとてもフレンドリーに接してくれて、親善イベントを盛り上げていました。
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それでも、ちょっとは不気味な感じもしたかなぁ~。
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こういう軍艦が本当に戦争をする気で製造されていて、実際に動いている訳ですね…。
日本が戦後に採った戦争放棄は奇跡的としか思えません…。
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by tomtom2006T | 2015-08-31 22:58 | DIARY | Trackback | Comments(0)

ヨコスカフレンドシップデー2015 <Part2>

その場所に行くまでは、あまり具体的に想像していなかったのですが、「横須賀米海軍基地」は1945年の終戦後に米国が接収した大日本帝国の海軍施設と土地であったことを、「あるもの」を見つけてザワっと実感しました。

この基地内はまるで「アメリカ」そのものなのに、元々は日本人が開発して使っていた敷地であった痕跡が残っているのです。

自称・マンホール女子としては、この古~いマンホールには興奮したし、感慨深いものがありました。別に、見つけようとして見つけた訳ではありません。炎天下で帽子を深く被り、それでも眩しくて地面を見て歩いていたために見つけた偶然の光景でした。
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とてもとても古い年代もののマンホールたち!
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by tomtom2006T | 2015-08-29 13:00 | DIARY | Trackback | Comments(0)

ヨコハマフレンドシップデー2015 <Part1>

8月も終わり…。早いような長いような、猛暑だったし、今は超涼しいし、不思議な夏でした。

8月1日、私は「ヨコスカ・フレンドシップ・デー」というイベントに行きました。具体的に何が観たい…という目的や下調べもなく、単に興味本位で。1年に1日だけしか公開されないのだそうです。ホテルを出てからホテルに戻るまで、炎天下の中、ポンコツ脚で4時間以上歩き廻りました。よく頑張りました?? これは心底快挙!


長~い行列に並び、金属探知機をくぐり、横須賀米海軍基地のさもないゲートを入ると、歓迎?してくれたのが軍用犬でした。これはお決まりの設定なのかもしれないけれど、ちょっと驚きました。穏やかそうなワンちゃんでした。
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そして、日本とアメリカの国旗がたなびく建物が山の頂きに見えました。これが一番印象的だったかも…。「Naval Oceanography Antisubmarine Warfare Center Yokosuka」という建物で、日本語名が何というのか分かりませんが、横須賀海軍・海洋学・対潜水艦戦争対策本部…とでも訳せるのかしら…。こわ~い。レーダーを張り巡らせていて、見知らぬ潜水艦が近づこうものならば即座に探知できるのだろうと想像できます。

アメリカという国に行ったことはあっても、「海軍基地内」などというものは初めてだったので、目に入るもの全てが珍しく写真を撮りまくる結果となりました…??
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by tomtom2006T | 2015-08-28 00:42 | DIARY | Trackback | Comments(0)

村尾陸男氏、石巻ライヴ、英歌詞…♪

水面下ではあちこちPRしていたのですが、遅まきながらのお知らせです。

JAZZスタンダードナンバーの百科事典のような「ジャズ詞大全」の著者、村尾陸男さんが石巻でライヴされます。2010年に、彼が経営するFaroutというジャズスポットで歌わせて頂いたことがご縁で、今回のライヴも恐らく仙台の誰よりも早くお知らせ頂いたことと思います。仙台でのライヴも検討しましたが、すでに決まっている石巻での2日間のライヴ日程に、仙台ライヴをスクウィーズするのは物理的に難しく、石巻のみということになりました。

村尾さんのライヴでのお話は、とても興味深いものがあります。スタンダードナンバーに纏わる裏話あり、秘話あり、生き字引のような方であり、とても気さくだし興味深い方です。仙台在住のボーカリストのお友達や、ジャズボーカルがお好きな方たちにも是非聴いてみて頂きたいと思います。
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2月にNYに行き、カーリンアリソンさんのWorkshopに参加しプライベートレッスンを受けたときに、私がアドバイス(修正)された点で強烈に記憶に残っていることが2つあって、その1つが歌詞の誤りでした。私が体験した「歌詞の誤り修正」について、村尾さんはとても丁寧に応えてくださいました。

(以下は、ボーカリストでないと面白くも何ともないお話で~す♪ 
長文・要注意…。)


自分が歌本やCDの歌詞で覚えた歌詞に、誤りがあった! 発音ではなく、「単語」の誤りだったのです。きっと、Native Speakerには有り得ないこと=「すぐに間違いだと分かること」でも、英語が堪能な日本人でも聴き取りの段階でミスするかもしれない点なのだろうと思いました。

1つは、「Gone With The Wind」。この曲は極初心者の頃に覚えた曲で、「青本・赤本」の歌詞をそのまま記憶し、もう何年間も歌っていたのです。「ソコの単語」の繋がりだけが発音するのが難しく、しかも意味不明で不思議に思いながらも…、でもそういう歌詞ならば仕方がない…と思って、自分の歌詞カードを作り、一生懸命練習した記憶があります。今年2月まで「口」が覚えていました。この曲をWorkshopで歌ったところ、「ソコ」は間違いだと指摘されました。どこかというと…、最後の2小節。

「誤」An empty smoked dream that has gone, gone with the wind.
   (スタンダードジャズのすべて②・青本・P.161)
「正」An empty smoke ring that has gone, gone with the wind.

「口」が覚えて、頭にも納得させて、長年歌ってきた歌詞が違う…って、かなりのショックでした。しかも大好きな歌ですし…。もちろん当時、「ジャズ詞大全」の存在を知りませんでした。f0032766_0164969.jpg

2つ目は、「Straight, No Chaser」。この曲は、歌の先輩が「口」のウォームアップに歌っていると教わって、私も真似して歌い始めた曲でした。物凄く難しいです。インスト曲なので、歌本には歌詞がなく、Carmen McRaeの「Carmen Sings Monk」というアルバムの歌詞カードから歌詞を覚えました。この曲はカーリンのプライベートレッスンで、単語の間違いを指摘されました。その歌詞は自分でも不思議に思っていたフレーズだったのですが、歌詞カードとCarmenの歌唱の発音を詳細に照らし合わせることをしていなかったことを悔いました。どこかというと、初っ端2小節目。

「誤」Well, Monk set it straight. It’s out of town when you wait.
「正」Well, Monk set it straight. It’s out of time when you wait.
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こういう間違いって、日本人しかいない場所で英語の歌を唄っている分には全く気付かれることもないのでしょうが、英語のNative Speakerが聴けば、アレ?と思ってしまうことに違いありません…。英単語を正しく発音することは勿論ボトムライン。でも発音が正しくて、英単語が間違っていたら、なんだか恥ずかしい…。

つまり、そういう恥ずかしい体験をしたのでした。

そのことを、村尾さんにお話したら、Gone With The Windの方などはアメリカのFake bookを2冊調べてくださって、2冊とも「An empty smoke dream」になっていた…と教えてくださいました。「smoked dream」ならば語呂も悪いし文法的にも変だけれど、「smoke dream」ならば、まぁ悪くない…との結論でした。はかない夢と解せばいいのでしょうか…。でも、オリジナルは「smoke-ring(たばこの煙の輪)」。

それにしても、歌本もCDアルバムの歌詞カード(歌唱がディクテーションされた歌詞)も100%は信用できないということですね。あるいは、オリジナルの歌詞を所々変えて歌う場合もあるため、自分の耳で確認し、疑問に思ったら、「何等かの方法」で確認し、文脈や意味の流れから逸脱しない歌詞で唄いたいものです。

こんなことが頻繁に起る訳ではないけれど、私の場合、「何等かの方法」のうち一番強力な解決方法が、村尾陸男さんです。とても有難い存在です。
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by tomtom2006T | 2015-08-23 01:27 | DIARY | Trackback | Comments(0)

2015年8月と9月のライヴスケジュール♪

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7月に新宿「J」に行きました。このお店は、私が生まれて初めて行ったジャズスポットでした。自分で行った…というよりは、連れて行って頂いた…のでした。私を「J」に連れて行ってくださったYさんは、私にとって最初の「ジャズの水先案内人」でした。その夜の出演ボーカリストは確か、ヨーコ・サイクスさんという方でした。「J」から新宿駅までの帰りの道のりで、私は「老後はジャズ歌手になる!」と宣言しました。もう20数年前の話です。当時はキャリアウーマンを目指していたので、すぐには実行できる訳もありませんでした。

19年前、私は仙台にUターンしてから歌うようになりました。もちろん練習だけから…。
先日数年ぶりに会ったYさんに近況を訊かれた私は、「ジャズは挫折中~」と話しました。すかさず彼は、「挫折というものは、高みに到達したものだけに言える言葉であって、高みに到達もしていないものに挫折などは有り得ない!」と一蹴されてしまいました。

そっか、今の私は「挫折」しているのではないのか、でなければ何だろう…、迷っているだけか、疲れているだけか、失望しているだけか、気力がないだけか…?何なんだろう…と、凹みました。

でも、偶然にも、その夜に泊まったホテルで読んだ読売新聞の記事が、結構Clickでした。

それは、毒舌で愉快な?バイオリニスト・高嶋ちさ子さんの記事でした。彼女が恩師から言われた言葉…。彼女が大学に進学してバイオリンを続けるか否かを先生に相談したとき、先生は「どちらでもいいが、やめると決める日までは練習を続けてくれ」とアドバイス。「悩んでいる時点で練習しなくなれば、皆との差は開くだけだ」…と。

恐らく、受験を控えていたときのアドバイスだと思うので、合格を目指す奏者と差が開いてしまう…という意味だったのだろうと想像できるけれど、なぁ~んとなく自分に置き換えて、「練習するのをやめたら、そこでストップだろうな…」って納得。歌をやめる…って決めるまでは、悩もうが何しようが練習だけはし続けないと、声や風情にも怠慢が現れるのだろうな…って妙に開眼してしまいました。
もの凄~く単純な結論!趣味ボイトレ、歌えば楽し♪

もう一年間ほど、営利目的なスポットでの演奏を控えています。細々と自分の歌道を練っています。そんなこんなの近況です。

もしご都合よろしかったら、ぜひ遊びにいらしてください。8月と9月は屋外ライヴです。

8月22日(土) 定禅寺ストリートチャリティーライヴ
@「夏の思い出像前」デッキ 13:30~14:00 
さいとうとかつもと> With 勝本宜男(B)
※ボーカルとベースのDuoです。だいぶチャレンジングです。お散歩がてら、物見遊山で聴きにいらしてください♥
※被災地への義援金や、定禅寺ストリートジャズフェスやとっておき音楽祭などの音楽イベントのための支援金を募ります。
※激しい降雨の場合は中止になることがあります。

9月12日(土)定禅寺ストリートジャズフェスティバル
@「榴岡公園・噴水広場」 11:00~11:40
さいとうとさとう> With 佐藤雄志(EP)
※同志・佐藤教授とDuoします。県外のバンドの方々が演奏するスポットのようです。バンド種も様々。バンドMtg.でお会いした方々から、仙台のミュージシャンからは感じたことのない新鮮な印象を受けました。やる気満々になれそうです。若干遠出になりますが、見物&応援よろしくお願いいたします~♪ 最寄り駅はJR仙石線・榴ヶ岡駅です。

9月27日(日) 定禅寺ストリートチャリティーライヴ
「夏の思い出像前」デッキ 15:00~15:30
さいとうとかつもと> With 勝本宜男(B)
※被災地への義援金や、定禅寺ストリートジャズフェスやとっておき音楽祭などの音楽イベントのための支援金を募ります。
※激しい降雨の場合は中止になることがあります。
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by tomtom2006T | 2015-08-20 23:45 | LIVE SCHEDULE | Trackback | Comments(0)

戦後70年…。

明日、8月15日、終戦記念日です。

ここ一週間ほど、節目の年ということでTVでは色々な特別番組が組まれ、毎晩なんだか、テレビを観ていてはらはらと涙が流れます。戦後70年と日航ジャンボ機墜落事故後30年…という節目。
いまだ惨劇と悲劇からの哀しみが癒えない生存者や犠牲者の遺族らの様子から、テレビの画面からでも充分過ぎる程その深く仕舞い込まれてきた苦しみが伝わってきます。

いずれも人災。人間が正しいことを貫いていれば、起ることがなかったであろう人間に起因する災い。(日航ジャンボ機墜落事故などは、事故後30年にして、尾翼が欠落した原因はボーイング社のジャンボ機修理ミスにあった…と報道番組で報じられていました。)

数日前には、NHKスペシャルで、戦争に駆り出された13歳から16歳くらいの少年兵がいたことが報じられていました。二度とこんなことのないように…と締めくくられる以前から、人間が歴史的になんと同様のことを繰り返してきたことか…と気が遠くなる想いがします。戦争のために子供をマインドコントロールする、銃器を操れるように訓練する…、それは現在だって、とくにイスラム国とやらのプロパガンダ映像でも明らかに見ることができます。子供を守るどころか、戦争マンパワーの強化に利用しているだけ…。

特攻隊の生存者、少年兵の生存者、従軍看護婦の生存者、原爆被爆の生存者…、墜落事故の生存者、生存者のすべての人に共通していることは、哀しみや苦しみが癒えていないという事実。従軍した生存者の殆どが80代と90代のお年寄り。今も戦争の体験を思い出して涙が流れる…、可哀想です。そして、二度と同じことが起きないようにと願い、何等かの活動をし続けている人々にも頭が下がります。そんなドキュメンタリーをテレビで観たりすると、私にはいったい何が出来るだろう…と感じたりします。でも、感じないことには何も始まらないので、感じないと。そして、節目の年でなくたって、感じていないと…。

今月1日、興味本位で、とある旅行社のとあるバスツァーに参加しました。そのツァーは、「横須賀米海軍横須賀基地・ヨコスカフレンドシップデー」というもので、一年に一回だけ開催される普段は入れない米海軍基地の親善フェスティバルでした。なぜ興味を持ったか自分でも分かりませんが、お一人様参加OKだったので、簡単参加でした。

35名の参加者のうち、お一人様参加の男性が15名。これは稀に見る多さだそうです。(普段は中高年の女性が圧倒的に多いそうです。)お一人様参加の女性は、私が気付いた限りでは数名。他は二人連れ。男性は殆どがお爺ちゃんでしたが、20代と思われる男子も二人いました。私が往路で隣り合わせになった女性は、70代と見られるご老人。時間が経つにつれ、彼女が何故このツァーに参加したかを知ることになりました。

彼女は横須賀出身。本当は妹さんと参加したかったけれども、都合が悪くて一人で参加。昔住んでいたところが、今どうなっているかを出来れば確かめたいと思ったそうです。(昔の住所表記を持参してきていたようでした。)

それにしても何故? 
彼女の父親は、日本海軍で働いていたとのこと。母親が仙台出身で、戦争が激戦になった頃に仙台に疎開してきたそうです。横須賀に住んでいたのは6歳まで。横須賀の記憶も父親の記憶もそこまで。その後、父親は戦死してしまったとのことでした。父親が海軍で働いていたことは知っていても、どのような仕事をしていたかは国家機密で、その内容は妻にも知らされていなかったそうです。彼女はどうしても、父親が戦死するまでの経緯を知りたくて、様々な書類を揃えて厚生省(恐らく現在の厚生労働省)に問合せをしたそうです。つまり彼女の一家は、遺族年金(=軍人恩給)を受給していたために、問合せをすることが出来たようです。直属の親族でないと、詳細を知る権利がないとのことで、彼女は一親等の娘な訳だから、父親が命を奪われたときまでの経緯を知ることができたそうです。

彼女の父親は「はやかぜ」(ひょっとすると私の記憶が曖昧で「はたかぜ」だったかもしれない)という軍艦で働いていて、日本が真珠湾攻撃を行う直前までハワイに居たということまで記録されていたそうです。(証拠に、遺品の中にはハワイで購入したと思われるレコードが遺されているとのこと。)真珠湾攻撃の前に日本に帰国し、その後米軍の魚雷攻撃によって戦死した…ということまで分かったそうです。私は、彼女の話にのめり込み、なにげに根掘り葉掘り質問してしまいました。(話を聞きながら、私がスマホで話の内容をチェックしていると、「孫がそうやって調べてくれた」と言っていました。)

このバスツァーには、「軍港めぐり」も入っていました。長浦港。観光船に乗船するまでの間に通るお土産ショップで、彼女は突然声高に叫びました。ほとんどピョンピョン飛び上がっていました。「見つけた、見つけた!あぁ、見つけた、父さんの船だ!」彼女が見つけたのは軍艦の名前が入った小さなバッジでした。「はやかぜ」と書かれたバッジ。コレクターズアイテムです。彼女はお土産に何個も買いました。たぶん、7個くらい…。きっと孫たちの分まで。

私は思いました。子供の頃に戦争で死に別れた父親の存在を、きっと片時も忘れることがなかったに違いない…と。哀しく、寂しい思いをしたのだろう…と。彼女の心中に深く残っている戦争の傷跡を生々しく感じざるを得ませんでした。彼女は70代、ひょっとすると80代。この一週間、TVドキュメンタリーで観た、哀しみの癒えない戦争犠牲者の遺族の一人。私が体験したことのない感情について、本当に色々と考えさせられました。

今日は最高齢の私の叔父と長電話しました。
むかし家裏の竹藪にあったという防空壕のことを知りたくて…。昭和20年7月10日、仙台が空襲を受けたことを教えてくれました。仙台空襲があったことは知っていても、日付なんか知ろうともしていなかったけれど、叔父はちゃんと記憶していて、家の近くに焼夷弾が落とされたために、慌てて防空壕を掘ったのだそうです。でも、すぐに終戦になった…のですって。私の父は8人兄弟で、うち5人が男兄弟。徴兵審査があったけれど、最高齢の叔父はド近眼だったので不合格、もう一人の叔父は肺結核を患っていたので不合格、私の父は機械工学系の研究生だったということで不合格だったそうです。(私は父も結核のために徴兵されなかったと思っていました。)残りの叔父たちは未だ子供。「幸い」と言うべきかどうか分からないけれど、戦争に行った血族はいませんでした。

今日はここまでにします。長くなり過ぎました…m(__)m。
明日は「終戦の日」を噛みしめていようと思います。
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by tomtom2006T | 2015-08-14 23:31 | DIARY | Trackback | Comments(0)

平和祈願の日

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トルーマン大統領の孫という男性が、和平活動をしていると知りました。テレ朝の特別番組で放映されています。なんという運命だろう…と感じ入っています。なんと強い意志だろう…。
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by tomtom2006T | 2015-08-09 12:24 | DIARY | Trackback | Comments(0)

ジャズ・マドンナ<十萌子>の、徒然なるままに・・・。


by tomtom2006T
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