南三陸町(続編)
2016年 02月 01日
コンサートの影響で、会場(志津川)近辺の宿泊施設はすべて満杯。最終的に予約できた民宿は、会場から車で30分弱の海辺の民宿でした。「歌津字田の頭」というところ。泊埼半島です。
そこまでの道のりがどういうものか…、実は何も想像できていませんでした。
南三陸町は、復興・嵩上げ工事の真っ最中。
ナビが記憶している震災以前の道路は見事に無くなっていて、仮に作られた道路が走っているのです。どこへ行くのもナビ頼りなのに、ナビが教えてくれることと実際の仮道路が異なっているため、自分たちの勘に頼る他はありません。「さんさん商店街」を目指したときも、道に迷って巨大な「盛土」ばかりの一角に入ってしまい、工事現場のおじさんに道を教えてもらったり…。
明るいうちは良かったのです。でも、夜は、全くの想定外!
予約を取った民宿を目指して出発したものの、そのうち、行けども行けども、「工事中、この先通行止め」の看板に出くわしました。
真っ暗!頼りになるのはヘッドライトとナビだけ!恐怖との戦い。
「側溝があるかもしれないから落ちしなように…。右側は海辺のはずだから、崖から落ちないように…。」この恐怖、ハンパじゃなかった!人家もなければ、人もいない!
1台の車とすれ違ったとき、窓を開けて大声で呼び止めたけれど、スル~。
「こっちでいいの?進めるところ、ここしかないよねー?」「ナビの方向は間違ってないから、とにかく行ってみよ~」…勇気を振り絞るの巻。
この時運転していたのは、nちゃん。ハンドルをがっつり握り、前のめりにつんのめって運転!もろ緊張状態!
まるで景色が見えない、灯りがない…という恐怖を初めて味わいました。
真っ暗闇の「けもの道」か「深海」か…の世界。
とうとう民宿の看板と人家の灯が見えたとき、そこはとんでもない急激な坂道でした。傾斜20度くらいはあるような坂…。その民宿は高台にあったのでした。
「明日の朝、民宿の窓からどんな景色が広がっているのだろう…?」
「明日になれば、どんな道を通ってきたか判る……。」
やっとこさ無事に宿に辿りつき、表現し難い安堵感を味わって、一日が終わりました。
パトカー伴走事件、白子事件、狂喜のG!Pコンサート、行き止まり事件、盛り沢山な濃ゆい一日でした。
そして朝になって、障子を開けて目に入った景色はコレ。⇓ ⇓ ⇓ ⇓ ⇓
なんと美しかったことか…。
前夜、私たちが恐怖と闘いながら通ってきた道なき道は、嵩上げ工事の盛土の世界だったと判明。
南三陸町は今、物凄い高さの盛土の山が山脈のように連なっています。盛土は、恐らく4階建てくらいの高さです。
今月中旬、嵩上げされたその土地に、商業施設の第一号店―セブンイレブンが開店しました。今後、その土地に色々な建物が建設されていくのだそうです。TVニュースで報じられていました。
震災遺構として保存されることになっている「防災庁舎」は、2012年に訪れたときは、海抜0メートルと思えるほどの平地にそびえ立っていたように記憶していますが、今回は、盛土山脈の谷間にひっそりと隠れている…という印象でした。
この巨大な盛土が、将来起きうるかもしれない津波を本当に防ぐことができるのでしょうか…?大地震が発生したとき、この盛土は液状化して崩れたりしないのかしら?とか、とても疑問に感じました。つい最近、道路工事の談合事件もあったし、こういった大々的な土建工事って、どこまで正しく行われているのか、どうしても疑ってしまいます。10年後、20年後、どのように復興しているのでしょう…。
民宿の女将さんが話してくれた震災体験も壮絶な内容で、あらためて被災者の人々の人間模様や心情を考えさせられました。これからも、ちっぽけな行為かもしれないし、次に何ができるかも分からないのだけれど、自分の目で被災地の現状を観て、そして考える…という行為が必要だと感じた次第です。
とにもかくにも、色々な感情が渦巻き、アップ&ダウンな小旅行となりました。
実際に行ってみなければわからないことばかりです。
また南三陸へ行って、その後の様子を確認したいですね。またお付き合いください。